DXは”どこでもドア”、経営者はのび太でいい!地方介護ベンチャーのデータ経営 #前編

2025年11月13日

株式会社しらゆりケア
代表取締役 浜中 俊哉氏

取材:2025年9月5日

「我慢ができない少年」が見つけた人生のコンパス

2年先のプレゼントを前借り交渉する小学生

―社長は四日市ご出身とのことですが、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?

思い立ったらすぐ行動してしまうので、本当に我慢ができない子だったと思います。

小さい頃から何か欲しいと思ったら「絶対に欲しい。どうやったら買えるかな」と考えてしまうタイプでした。

小学校でアルバイトはできないかと本気で考えたり、親に「誕生日のプレゼントとクリスマスのプレゼント、2年先までまとめてこれにしてくれ」と交渉したり。

よく言えば交渉ですが、欲張ったことを考えては親に怒られてばかりでしたね(笑)。

自営業とエリートサラリーマン、両極端な家系からのDNA

一 ご自身の性格のルーツは、どのような環境にあったのでしょうか?

うちは男三人兄弟の長男なのですが、母方の家系と父方の家系が全く違うんです。

母方はほぼサラリーマンがおらず、みんな自営業。対して父方は、サラリーマンとして組織でトップに上り詰めるタイプでした。

そのミックスで、私と一番下は自営業タイプ、真ん中は銀行員です。不思議ですよね。

いずれ起業しようと思って働いていたわけではありませんが、やはり性格的に「これと決めたらすぐ行動」というのが発動して、今の道に進みました。

恩師との出会いー華やかな金融の世界へ

一 学生時代から、経営者を目指していたのですか?

いえ、全く考えていませんでした。大学は明治大学の商学部で、日本で一番古い商学部だったらしく、クラスの半分以上が税理士志望。「面白くない大学だな」と思っていました(笑)。

そんな中で「金融特殊論」という講義に出会ったんです。講師が、当時ゴールドマン・サックス証券のトップ営業マンだった藤野英人さん(現レオス・キャピタルワークス創業者)でした。

彼から聞く金融業界の話はとにかくキラキラしていて、金融業界に飛び込むことを決意しました。この出会いがなければ、今の自分はありません。

波乱の社会人経験で得た「お金」と「仕事」の哲学 

2ヶ月で退職したリフォーム会社での経験

一 社会人としてのキャリアは、最初から順調でしたか?

いえ、実は金融業界に入る前に、一度リフォーム会社に就職して2ヶ月で辞めているんです。

そこはいわゆる点検商法のような営業をしていて、「人を騙してまで営業しなきゃいけないのか」と社長に意見したこともありました。納得がいかず、すぐに辞めたんです。

だからこそ、次に入社する会社は「何があっても3年間は辞めない」と心に誓いました。どんな環境でも、反面教師からでも、何かを学び尽くしてやろうと決めていましたね。

証券会社で身をもって体験したお金の怖さ

一 その次に入社されたのが、証券会社ですね。どのようなお仕事だったのでしょうか?

私がいたのは商品取引という特殊な業界で、新人時代は「トウモロコシ売ってこい」と言われるような世界でした(笑)。

営業に行くとブルドーザーで威嚇されたり、無茶なことを言われたり、メンタルは相当鍛えられましたね。

人の入れ替わりが激しくて、4年半勤めたら上司に「定年まで勤め上げたな」と言われたくらいです。同期で残ったのは、30数人中たった2人でした。

一 その厳しい環境で、最も大きな学びになったことは何ですか?

「お金が人をおかしくする」ということを、身をもって学びました。

損失を出されたお客様から集金に行くのが仕事だったのですが、人が変わってしまったかのように怒りをぶつけられる。

お金を目的に就職したはずなのに、「お金を目的で仕事をするのは間違っている」と強く感じたんです。この経験が、今の自分の事業に対する考え方の根幹になっています。

目指すは「一流か三流」。二流を選ばない理由とは?

一 そうした厳しいご経験を経て、今も大切にされている座右の銘などはありますか?

昔から「 I’ll go through life either first class or third, but never second.」という言葉を大切にしています。日本語にすると「人生、一流か三流であれ。決して二流になるな」という意味です。

一 普通は「三流」こそ避けたいと考えますが、浜中社長の視点は違うのですね?

一生懸命頑張れば、人は一流になれる。もし大失敗しても、三流には一流になる可能性があります。
でも、二流は違う。ぬるま湯に浸かってぼーっとしている二流は、決して一流にはなれない。私はそう考えています。

自分の性格上、無駄な時間を過ごすのはもったいない。やるなら、どちらかに振り切る人生がいいんです。

「行動するバカには勝てない」未経験の介護の世界へ 

義母の介護が押した「創業」のスイッチ

一 証券会社を辞められた後は、製造業に移られたのですね。

はい。祖父母が創業した小さな町工場があったのですが、後継ぎがおらず「中継ぎ登板してくれ」と頼まれたんです。

正直、全く継ぐつもりはなかったのですが、半年間休みをもらうことを条件に引き受け、その足で退職金を握りしめてアメリカ横断の旅に出ました。

一 そこから、なぜ未経験の介護事業を始められたのですか?

町工場で働いていた頃、義理の母親が要介護状態になり、仕事との両立が難しく家庭もおかしくなってしまいました。

この状況をなんとか解決したい一心で、「経験はないけど、やるわ」と。全くの未経験からこの介護事業を始めたのが、大冒険の始まりであり、人生の大きな転機でしたね。

祖父母の町工場で学んだ「品質管理」を介護へ

一 製造業と介護事業は全く違う世界のようですが、何か共通点はあるのでしょうか?

実は、すごく似ている部分があるんです。私は製造業で品質管理の仕事をメインでやっていたのですが、品質管理とマネジメントは通じるものがあります。

製造業は、原料の受け入れから加工、検査まで、どこか一つの工程が止まると全部が止まってしまうチームプレイの世界です。

私たちの仕事も同じで、誰かに何かあると、利用者様に提供するサービス全体が止まってしまう。

この「品質」と「チームワーク」という視点は、製造業の経験から今の事業にそのまま活かしています。

データに基づく「根拠ある大冒険」

一 創業当時は、どのように事業の意思決定をされていたのですか?

起業当時はもう完全にフィーリングです。「1回やってみよう」と。

義母が訪問看護を使っていたので、ネットで調べて「株式会社でもできるんだ」という情報だけを根拠に始めました。でも実際にやってみたら「ネットの情報は嘘つきだ」と(笑)。そんな簡単なわけがありませんでした。

当時はホリエモンさんが言っていた「行動するバカには勝てない」という言葉を信じて、「自分は行動するバカなんだ」と思い込んで突っ走っていましたね。

一 今は経営スタイルが変わったのでしょうか?

はい。いっぱい失敗した経験から、今は「根拠のない大冒険」はしなくなりました。

現場のスタッフと何度もキャッチボールして作り上げた緻密なデータを元に、「数字という根拠を持って冒険をする」ようになったんです。

直感も大事ですが、その裏付けとなるデータがあって初めて、大きな挑戦ができると考えています。

会社情報

会社名株式会社 しらゆりケア
所在地三重県四日市市日永西2-9-11
業種専門サービス業(その他の専門サービス業)
サービス内容ナーシングホーム
訪問看護ステーション
訪問介護
生活支援サービス
居宅介護支援事業所
神経リハビリセンター
障がい者グループホーム
訪問看護経営コンサル
高齢者住宅給食事業FRECO
従業員数158名
ホームページhttps://planb-shirayuri.com/
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